ねこちゃんハウス、今まで2回集合してみて、現在時点で思うことを素直に綴ってみようと思う。
ひとつは、フリースクールという言葉を使うことを一旦止めることにしたこと。
みんなに周知しやすくなるようにという思いで安易に引用してみたけれど、フリースクールという言葉から感じる社会通念が今の自分にとってはどことなく重く、そういうものを感じないところから創っていくものにしたいなと思ったことがひとつ。
もう一つは、拠点を持ってから活動したいと思ったこと。
2度集まってみて思ったのは、子どもの安全面をどう担保するかということについて、自分自身、今一度試行錯誤するための準備が欲しいと感じた。
今回小学校低学年の男の子が多かったけど、この年齢の男の子は、野性感と遊ぶ情熱に漲っていて、生と死の擦れ擦れを余裕で渡り歩いていく存在だった。存在としてめちゃくちゃ面白いし、見ていて飽きないし、こっちまで野性的感覚を煽られる思いだった。
けど、目の前のことに好奇心でぶつかっていくそのエネルギーが高まると、こっちが何を言っても、その勢いづいたエネルギーに跳ね返されるみたいな状況に今回はなったので、慣れない遊び場で集まるのは、安全に保護する上で、準備が必要だなと思った。
そして何より信頼関係。子どもであれ大人であれ人間なので、人間同士の信頼関係を、ある程度安全に見守れる場で築いてから、色んな場所で遊ぶことへと繋げられるんじゃないかと感じた。
また、興味深い様子もひとつ見受けられた。
今回小学校6年生の男の子も参加してくれたのだけど、その子が釣り道具をもってきて、釣りをやろうとすると、超パワフルな低学年の男の子が、興味をもって真剣に釣りの準備や様子を観察していたこと。とにかく自由にしていいよ、もいいけど、なんか面白そうな匂いのするところに寄ってくる子もいる。そういう時に垣間見れるまた違った表情。
子どもによってもそれぞれ違うし、年齢によっても、性別によっても色々と個性が違うので、安全に見守るということについて、2回目の集まりはある意味考えさせられる回になった。
娘のチャーはというと、あれだけ行かないと言っていた小学校に、今のところ楽しそうに通っている。
これからどうなるかは分からないけど。
わたしはというと、チャーがどうあれ、ねこちゃんハウスをマイペースにつくっていく気持ちには変わりない。
子どもたちと関わると、全部丸出しになる。全部胎から出る想いじゃなきゃ、なんも伝わりやしない。
みんな最高に強烈で激しくて、痛快で。ハラハラドキドキ。
「大人は子どもの自由を邪魔すんな!!」と、高台から見下ろされながら、小僧に激を飛ばされた、子浦の浜にて。
逃げる子どもを追っかけて、ぎょさんを脱ぎ捨て裸足でアスファルトを全力疾走した35歳の春。
与えたいと言いながら、結局自分が楽しいからやっているんだとおもう。
あのぐらいの子どもの頃から、自分も何も変わってない子どもなんだと思う。
おわり
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