フリースクール。最近よく聞く言葉だし、たぶん、認知してもらいやすいという理由から、自分自身も「フリースクール(のような何か)をつくりたい。」と周りの人たちに言って回っているけど、実際のところ、フリースクールというものが一体何なのか、ということについて、未だ何なのかははっきりしていない。
気がついたら「フリースクールを南伊豆につくりたい。」というセリフが口から勝手に出てきていて、リピートボタンを押したカセットテープから流れる音声みたいに、そのセリフを会う人会う人に発するようになった。
フリースクールの重要性とか、必要性とか、頭で考えればいくらでも御託を並べられるけど、そういうところから始まったことじゃなくて、もっと直感的なことだった。
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ミーという人物は、未成年のころはほとんど母子家庭で育ち、普通の義務教育を受けて、国立大学の工学部にいき、在学中は休学をしていたこともあり、7年かけて学部を卒業した。途中で大学に行く意味がよく分からなくなったので辞めようかと思ったけど、大学を辞めてまでやりたいと思うこともなかったので、母親の要望の通り、卒業はした。
正直、傲慢ながらも生きることに疲れていたし、早く死なないかなと思っては、日々、拭い去れない虚無感の中で身体だけが生きていた。けど自分で死ぬのは痛そうだったので、その時がくることを今か今かと待っていたけど、待てど暮らせどそんな日が来ることもなく、まるで水のように、生かされて流されるまま生きていたところ、ある日娘のチャーを妊娠した。
チャーを妊娠したことが分かった時、隕石が頭上に落ちてきたみたいな衝撃があった。飛び跳ねて喜んだし、パワフルな感覚が込み上げてきた。ずっと感じてこなかった熱、躍動感。
目を覚ませと言わんばかりの衝撃だった。
当時、生きる屍みたいだったわたしに再びイノチが宿ったのは、チャーをお腹に宿したあの時だったと思う。女性の身体、もし自分が産める身体じゃなかったら、迷わず死んでいたんじゃないかなと振り返れば思うけど、あの時チャーを授かったことで、初めてこの世界で生きようと思えた体験だった。
実際後々、チベット仏教のお坊さんにも言われた。あんたは女で良かったねと。男だったら死んでいたよ、と。良かったのかどうかはさておいて。
はっきり思ったのは、この世界で不幸面している自分のままでは、産まれてくるチャーに顔向けできないと強く思った時、大分久しぶりに深く息を吸えた気がした。
女性の身体で生まれてきて、子を宿して、生み育てるプログラムがちゃんと発動してる。
虚無感で充満した景色の中に、道しるべができたみたいだった。そっか。これを頼りにしていけば生きられるのかと。
その時にせよ、今にせよ思うことがある。生命(いのち)に沿って生きないなら、自分にとっては生きる必要性もないし、生きる術も見つからないと。
子どもが泣いていたら抱き上げるし、おしめも取り替えるし、お腹すいたらおっぱい飲ますし、愛おしくて抱きしめる。まんまるに抱きしめる。
そのまんまるの愛おしいがいろんなものに行き渡って、野花や虫も、空も風も、全部が愛おしくなるみたいな感覚。
全部いのちの仕組みから始まっているから、そこから始まらないことは、全部頭でつくり上げた妄想みたい。
生きる実感が欲しい。生きる実感って、いのちに沿って生きることで感じられるよ。
与えること以外、生きる活力も行動する力も漲らない、専ら怠惰で空虚なわたしを、地球と結びつけるアンカー的役割を担ってくれているチャーさん。
搭載されているOSがちゃんと機能していること。
そのプログラムに沿って、生まれ出てきたフリースクール。
わたしっていう当事者は、どこまでいってもいない感覚。
けど確かに愛しているし、愛したいし、とにかく愛したい。
愛していると言う人は誰かは知らんけど、愛してる感覚はちゃんとお腹の底に感じている。
そういう感じ。
愛おしいこと。
曙の散歩道、桜が、ぽてぽてに咲いている。
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